宮城県石巻西高等学校 1年 佐藤 志穂さんの作文

   私の将来の夢は声優です。声優を志したのは東日本大震災があった年の12月です。  
私達は、この震災でたくさんの親族を亡くしました。テレビやラジオから流れてくる辛く悲しい話や、津波の映像、小学校を卒業前の私には耐えきれるものではなく、精神的に壊れかけていき、6月には、不登校になり毎日のように病院へ通っていました。
10月末に膠(こう)原病(げんびょう)と診断され、宮城県立こども病院に入院しました。
そして、12月になり私は少しでしたが回復していました。
もう少しでクリスマスということで、病院へ声優の山寺宏一さんがいらっしゃいました。
山寺さんは、小さな子供達も知っているアンパンマンのカバオくんや、かまめしどんなどのたくさんのキャラクターを演じて下さいました。
私は山寺さんの声を聞き、この場所にキャラクターが出てきて、動いているように感じました。
周りの子供達も私と同じように見えたのか、声を上げて喜んでいました。
病気と戦っている子供だと思えないくらい、元気にはしゃいでいました。
その時私は声優という仕事とは、一つ一つのキャラクターに命を吹き込むこと、聞いた人達に笑顔と元気を届けることだと思いました。
同時に、声の力のすばらしさに感激し、私も山寺さんのような声優になりたいと思いました。
次の日の放課後、車いすの少年がリハビリの成果を出し、つかまりながら歩くことが出来ました。この少年は、山寺さんの声から勇気をもらったと言っていました。私も山寺さんの声から心をもらったのだと思います。
なぜなら、その1週間後に退院できたからです。  
私は、震災で心に傷を負った人達や、病気と一生懸命に戦っている人達を山寺さんのように、笑顔と勇気と元気を与えられる声優になり、震災から学んだ生きることを諦めない大切さを伝えていきたいです。

名取高等学校 3年 佐々木 弥生さんの作文

「将来の夢と震災について」

 私には、趣味も、将来の夢が声優で一緒のとても仲の良い後輩がいました。
しかし、震災でいなくなってしまいました。
人の命の儚さを痛感したり、どうしてこの子なんだろうと思ってしまったり、黒くモヤモヤとした気持ちが残っていました。
そんな時に、とある動画サイトでたくさんの声優さん達が声援団として震災支援をしていることを知りました。
この動画を観て、勝杏里さんが「今日より明日、明日より明後日」と言っていました。
その声と言葉の力を感じました。そして、モヤモヤした気持ちが楽になったことを感じました。
そして自分は前を向いて夢に向かって努力しようと考えるようになりました。
そして私が前を向けたように、自分は人に前を向いてもらえるような声優になりたいと思いました。
 震災から、3年が過ぎました。震災のことについて話せるようにもなりました。
しかし、風化していってしまっている、ということがあると思います。
今、たくさんの声優さんが活躍しています。
その中で伝えられる震災のことがあると私は思います。
そしてたくさんのことを伝えることが出来る声優になりたいです。

石巻西高等学校 3年 千葉 碧さんの作文

「私の人生」

私は震災を経験して、多くの人々の命や建物、私たちの家や思い出を全て奪う津波の恐ろしさ、そして、衣食住全てが整い揃った「あたり前の生活」を過ごせる幸せを痛感しました。
震災でこのようなことを知ると同時に、今回のプロジェクトを含め、様々な支援を受けるようになりました。
それらの支援を受けることで、様々な職業の方々との関わりが多くなり、それは、私の今後の人生や将来について考える良いきっかけとなりました。
こうして人と出会う中で、私は将来の夢を二つ抱くようになりました。
一つは舞台俳優です。
小学校の学芸会で、人前に立ち、スポットライトを浴びて、自分以外の人物になりきり、演じることがとても楽しかったからです。
また、震災後で気持ちが沈み、落ち込んでいた時に鑑賞した、劇団四季「ユタと不思議な仲間たち」や「キャッツ」に感動し、私も劇を通じて感動させたいと思ったからです。
そしてもう一つは、管理栄養士です。ある病院で出会った管理栄養士が、一人一人の患者に合ったメニューを作り、時に調理もしていました。
その姿を見て、食を通じて人を支える仕事の重要性を感じたからです。
しかし、私は二つの夢を抱いているが、この二つを両立することで、体調を崩しやすくなるかもしれない。
そのため「第二回『高校生クリエイティブ教室』IN東京」に参加し、私は舞台俳優に向いているか考え、確かめるために今回応募しました。

今、私は大好きな歌をもっと素晴らしいものにしたい、学びたいと思い、常盤木学園高等学校音楽家に通っています。
しかし私は今、自分の将来の夢をはっきりと見出せていません。音楽には様々な道があるからです。
具体的な職業にはなりませんが、私は将来人々を「地球に生まれて良かった。」と思わせられるような、
人を楽しませる明るい人になりたいです。

仙台向山高等学校 2年 塩野 美優貴さんの作文

「将来の夢と震災を経験して」

私の将来の夢は、声優なることです。
小さい頃からよくアニメを見ており、その夢あふれる世界に引き込まれた私は、キャラクターになりきることに夢中になりました。
現実の自分とは違う自分になれる感覚は、私を不思議と幸せにしました。
小学校を卒業する頃、声優という職業を知り、登場人物になって人々に元気や希望を与えることができる、そんな素晴らしい仕事に強い衝撃を受けました。俳優とは違い、二次元の人物に「命」を吹き込む技に魅力を感じたのです。
自分に自信を持てず、恥ずかしがり屋である私は「声優になりたい」と公言することはありませんでしたが、密かにその夢を抱いてきました。厳しい現実に夢を諦めそうになったこともありましたが、「夢は追い続ければ叶う」という言葉を胸に今日も努力を続けています。
その思いを強くしたのは被災の経験です。
幸い、私の地域は大きな被害はなく本当に安心したのを覚えています。
しかし、東部道路をはさんだ向かい側の地域は、あの恐ろしい津波にのまれてしまい、そこで亡くなった人の中には、私たちの中学校の音楽の先生が含まれていました。
それからしばらくして、その亡くなった先生と友人関係にあった森久美子さんが中学校に来てくださいました。森さんの特別授業を受けた生徒は皆、心からの笑顔を見せていたと思います。私はそれに大変感動しました。
音楽などの芸術がこんなにも人を励ますことができると知り、それなら私は「明日を生きる力」を与えるような声優になろうと考えました。
私が今まで元気をもらっていたように、今度は私が苦しんでいる人に笑顔と希望を届けたいです。

仙台市立仙台高等学校 1年 浅野 真凛さんの作文

「強い決意」

幼い頃に見た舞台の上で躍るバレリーナ。
あの時見た輝きは今でも鮮明に覚えている。
思い返せばこれが、表現者となり、舞台の上で歌い躍り、スポットライトのセンターに立つという私の夢の始まりだった。
3月11日・東日本大震災
窓ガラスがガタガタと震えだし、その直後大きな揺れと恐怖が私達を包んだ。
ガス・水・電気、さらに食料もない状態での暮らし。
それから何日か経ち電気が通るようになると、テレビに映る東北の姿を見て私は唖然とした。
でもその中で、たくさんの人を勇気づけるアーティストの方々。
私が大好きな歌と躍りを会場全体で分かち合っていた。
それを見て私も、たくさんの人と共有できる音楽、勇気を与えられる躍りを表現していきたいと強く思った。
この気持ちは、その日から始まったものではなくずっと前からいだいていた夢であったが、東日本大震災を経験し“必ず私は自分の夢を現実にしてみせる”という強い決意へと変わった。

宮城学院高等学校 2年 鈴木 杏梨さんの作文

私は中一の時に東日本大震災を経験しました。三年生の先輩方の卒業式前日に起こった衝撃的な出来事でした。
卒業式の前日ということもあり部活がなかった私は、今まさに学校から出ようとしていたところでした。
いきなりドーンという大きな音が聞こえた直後、ものすごい勢いで地面が揺れました。家に帰った後も余震が続きました。家ではテレビも電気も点かなくなっていて何も情報が入ってこず唯一の手段はラジオでした。
ラジオから流れてくるのは行方不明者の数や名前などでした。
翌日起きてみると新聞が届いてそこには一面に津波の写真がのっていました。最初は信じられなかったです。
その後、電気が復活してテレビでいろいろな事を知り、本当だったという事を実感しました。
その後も宮城では復興のために様々な活動が行われていました。
私がこの東日本大震災で学んだことは、助け合うことの大切さや人と人との交わりについてです。
東北地方の人はもちろん、他県からも様々な支援やボランティアに来てもらいそう感じました。
ボランティアなどは私達にとってとてもありがたかったです。
私にも何か復興の為に特別なことができないかと考えた時、私がとても勇気づけられたのは舞台でした。
地震の時の怖かった記憶も舞台を見ている時は忘れて楽しむことができました。
このことがきっかけで舞台に関われる仕事につきたいと思いました。
だから、このイベントに参加して少しでも子ども達に夢を与えられるような役者になれたらいいなと思っています。

宮城野高等学校 3年 鈴木 真美さんの作文

「震災と私の夢」

幼い頃から人前に立つことが大好きだった私は役者になることが夢だった。
今までは、様々な人物になれるから、演じることが楽しいから、好きだから、という理由で役者を目指していた。
年を重ねる度に夢に対する思いは大きくなり、今年は私自身も舞台に出演する機会を得たり、
今まで以上に多くの舞台を観劇するようになった。
そんな中、夢に対する新たな思いが生まれ、私を大きく突き動かしたのは、ある舞台との出会いだった。

二か月程前に観劇した「イシノマキにいた時間」は震災後の石巻を舞台にしたものだった。この舞台を通して、
こんなにも被災地のことを考え、舞台の上から伝えようとしてくれている人たちがいるということを
初めて実感できた気がした。感動のあまり、私は涙が止まらなかったことを今でも覚えている。

この時から、私は震災当時のことを頻繁に考えるようになった。
忘れもしない、2011年3月11日。家族や友人と連絡が取れたことへの安心。
中学校の卒業式や高校の合格発表が先送りになったことへの不安。
明り一つない街の夜空に浮かび上がる満天の星への感動。
震災後、程なくして祖父と後輩が亡くなったことへの絶望。
今まで当たり前だったことが、何一つ当たり前ではなくなったこと。
このことを経験したのは紛れもなく私であり、私が感じた気持ちを他の誰かに伝えることができるのは
私だけだと気づかされた。

震災から2年が経ち、外から見える復興は大変ゆっくりではあるものの、確実に進んでいる。
しかし、外からでは決して見えない人の心の復興は全くと言って良い程進んでいない。
そのような現状を常に感じ、あの日の舞台で自分の涙を、そして前の席に座っていた石巻の人達の涙を見て、
人の気持ちに寄り添えるような役者になりたいという思いが生まれたのだ。
幼い頃から見続けていた、役者になれるという夢。
その思いが強くなった今、絶対に諦めるわけにはいかない。