石巻西高校 1年 安住 里奈さんの作文

「将来の夢・被災を経験して」

私の将来の夢は、声優になることです。声優になってたくさんのアニメやゲームに携わりたいと思っています。
私が、声優に本気でなりたいと思ったのは高校に入ってからの最近です。友たちに「きれいな声してるね。」
と言われたのがきっかけです。それまでは、少し興味があるくらいでした。

小学校・中学校のときからアニメやゲームが好きで声優という職業を知りました。
その時から興味を持ってはいたものの周りには声優に興味のある人があまり居なくて、
ずっと自分を出す事ができずにいました。
ですが、高校に入り友達に言われた一言で本気で声優になりたいと思いました。
私には、憧れている声優さんがたくさんいます。その中でも、私は山寺宏一さんのファンです。
「アラジン」のジーニーのような楽しいキャラや映画の吹き替えなどの二枚目キャラのようなさまざまな声を
演じられるような声優になりたいです。

私は、東日本大震災を経験して自然の怖さと人と人とのつながりの温かさを感じることができました。
自分自身がつらい状況にあるのに誰かを助けたり助けられたり。暖かさ、優しさをとても感じました。
また、食べ物のありがたみを感じることができました。
大人になってもこの出来事。気持ちを忘れず大切にしていきたいと思います。

聖和学園高等学校 1年 一戸 万里さんの作文

世界では日々起こる様々な出来事は、今や情報と云う形で目や耳に飛び込んで来る。
そして日々、考え込んだり、嬉しくなったり、悲しくなったり、時に自暴自棄になる位、分別を無くし、怒りに囚われる。
そんな感情が溢れ出てきたのは、中学の頃。悶々としていた。思いの全てを詞にし始めたのも、その頃だろう。

そんなある日僕らは被災した。

僕の周りで日々動き回る人達。嫌いな先生、好きな人、喧嘩する母親、疲れている父親、楽しい友人。
そんなそんな疲れてしまう人間関係や日々の怠惰。それを哀しいメロディーにし始めたのも中学の頃だった。

そんな僕らは被災した。

ずっと思っていたことがある。僕の周りの小さな世界。リアルの大きい世界。
交わることはないと思っていた。でも実際に僕らは今回の震災で分かった。
もう僕の周りの小さな世界はリアルの大きい世界に飛び込もうとしていた。
なぜなら一人じゃないって知ったから。僕だけで回っている訳じゃない。その事に気付けた上に実感出来た。
僕がいろいろな事を感じそれを素晴らしき音楽で表現する将来が世界の扉を開けてくれた。僕の表現した世界が、
好きな人もいれば嫌いな人もいると思う。表現には、受け取る側の評価も重要である。
でも、その前に一つ一つの事柄から芽生える感情も大切にし表し発信することが更に重要だと思う。
皆に認めてもらえなくても、世界中のどこかで誰かに一人にでも感動を与えられる、
そんな歌を今後も描き続けていけたらと思う。

常盤木学園高等学校 1年 大島 日菜子さんの作文

わたしが中学一年生のとき、父は交通事故で死んでしまいました。
悲しくて、辛い日が続きましたが、四ヶ月ほどたって心も落ち着いてきたころ、東日本大震災が起きました。
あまりに大きな揺れに「これは普通ではない」と心で感じとりましたが、
まさか津波が町や人を襲っているとはそのときまったく思いませんでした。

私は幸い、家や身内の人に被害はありませんでしたが、町の大きな被害や亡くなってしまった人、
遺族の人のことを考えると、心に哀れみがうまれるばかりで、何もできませんでした。

そして、震災から七ヶ月ほどになる。2012年10月。
私は劇団I.Q150主催、丹野久美子さんが作・演出する「塩竈夢ミュージカル」に参加しました。
去年も私はこのミュージカルに参加していました。
しかし、この年のミュージカル参加は、明らかに前回と違い、気持ちがひきしまっていました。
被災地から被災者が、被災者に向けて演じたり躍ったり歌ったりする。
生半可な気持ちで出来るわけがないと思いました。
練習、本番も全力で、大切なものを失ってしまった人の心に安らぎを与えたい、
そしてお母さんにも元気になってほしいという思いを込め、
演じ歌いぬき、無事二回の公演を終えることができました。

今、私は大好きな歌をもっと素晴らしいものにしたい、学びたいと思い、常盤木学園高等学校音楽家に通っています。
しかし私は今、自分の将来の夢をはっきりと見出せていません。音楽には様々な道があるからです。
具体的な職業にはなりませんが、私は将来人々を「地球に生まれて良かった。」と思わせられるような、
人を楽しませる明るい人になりたいです。

常盤木学園高等学校 2年大城 早智さんの作文

「将来の夢について」

私の将来の夢は歌手やアイドルなど歌う仕事をすることです。
最初はただの憧れだったのですが、本気で目指そうと思ったきっかけは忘れもしない3月11日東日本大震災です。

あの日私は自宅で被災しました。幸い、自宅は高台で津波の被害にはあわなかったのですが、
水や電気は止まり暗闇の中ろうそくで過ごす日々が続きました。情報を知ることができるのはラジオだけ。
状況は知りたいけど暗闇で流れる情報は残酷で正直聞きたくありませんでした。
そんな中、少し休もう、元気を出そうと言わんばかりにラジオから音楽が流れました。
私はその時心が軽くなったのを覚えています。
今まで何げなく聴いていた音楽。その素晴らしさに気付かされました。

また、被災地にはたくさんのアーティストさんが駆けつけてくださり、
私達のためにたくさんの音楽活動をしていただきました。
被災者の中には感動して泣いてしまう方、笑顔になる方がさまざまいました。
私はその姿を見て、音楽はこんなに人の心に響かせることができるんだ、人を元気づける、
勇気づけることができるんだ、人と繋がることができるんだととても感動したのと同時に私も大好きな歌で
辛い思いをした人々を笑顔にしたいと強く思いました。
その時から本気で目指したいと思ったのです。
今までは歌やダンスの経験がないから、歌が上手くないから、かわいくないからとマイナスに考え
自信がありませんでしたが、自分の夢に一歩でも近づきたい日本と世界中と音楽で繋がって笑顔にさせたい、
自分に自信をつけたいと強く思ったので今回応募させて頂きました。
初めて自分が本当に目指したいと思った夢なのであきらめずに挑戦していきたいです。

常盤木学園高等学校 2年 加藤 美帆さんの作文

「笑顔を届ける」

震災から、約二年の月日が流れました。沢山の命が失われ、涙が止まらなかった日々。
そんな中で私は、ある一つの目標を立てました。そのきっかけとなった出来事。
それは、あの震災の2週間後くらいのことでした。
私はあの日、震災で家が全壊し、避難の為に最寄りの中学校にいました。
あのときはまだ一度に色々なことが起こりすぎて、混乱していました。
その日、私はずっと独りで考え込んでいました。『また地震がきたら』『これからの生活はどうなるのか』
そんなことがぐるぐると頭の中を支配していました。

そんな時、ふと思い出したのは。「あ、そういえば、家から音楽プレ-ヤー持って来たんだ。」ということ。
私が震災にあったのは、ちょうど友達の家へ行っていた時で、カバンの中にサイフ等と紛れて入っていたのが、
“音楽プレーヤー”だったのでした。何故こんな時に音楽プレーヤーの事を思い出したのかは分かりませんが、
その時は何気なく聴いてみようと思ったのです。

そして、私はある曲を聴きました。すると、「あれ・・?なんで?」涙が瞳からぽろぽろこぼれ落ちました。「っ、なんで!?」
その涙はいつまでも止まりませんでした。その時、私が聴いた曲。
それは、嵐の『明日の記憶』。それは、私が、大好きな嵐の歌でした。
いつも嵐の曲は私に元気をくれました。勇気も。その時、私は思いました。「あぁ、何くよくよしてんだ自分。」と。
周りを見れば、今も家族に会えなくて悲しんでいるおばあちゃん。
入口でうろうろしながら子供の名前を呼ぶ母親。自分なんか、家族皆無事だったのに。
そして私は一度目をつぶり、次にあけた時、「皆が笑顔に。悲しみも苦しみも吹き飛ばせるような歌手になろう。」と。
それからは、誰とも笑顔で接するようになりました。沢山の涙を未だに流す皆に一度で も笑顔が戻るようにと。

聖和学園高等学校 3年 河野 良太さんの作文

平成二十三年三月十一日。私は東日本大震災を体験しました。
幸い自宅を津波に流されることはありませんでしたが、私の家の基礎にはひびが入り、半壊状態でした。
家の中もめちゃくちゃになり、食器棚、冷蔵庫、タンス、立っているものは全て倒れました。
海の近くで暮らしていた親戚の家は津波によって流出し、同級生は家族と一緒に、津波に飲まれて亡くなりました。

水道、ガス、電気が全て復旧したのは、震災から実に一か月程たった後でした。
この震災に会うまで、子供と関わる任事がしたいという
漠然とした夢だけだった私は、次第に子どもを笑顔にできる仕事をしたいと思うようになりました。
震災の時の子どもたちの顔はとても暗く不安そうで、何とかしてあげることは出来ないかと考えたのがきっかけです。

今回、この高校生クリエイティブ教室に応募したのは、
声優という職業が子どもの笑顔にすることに一番向いていると思ったからです。
私は昔から本を朗読することが好きで、今でもいとこに読み聞かせたりしています。
そんな私には、声優という職業がぴったりに思えたのです。
今回の企画を通して、自分の進む道を導き出せたらと思います。



宮城野高等学校 3年 鈴木 真美さんの作文

「震災と私の夢」

幼い頃から人前に立つことが大好きだった私は役者になることが夢だった。
今までは、様々な人物になれるから、演じることが楽しいから、好きだから、という理由で役者を目指していた。
年を重ねる度に夢に対する思いは大きくなり、今年は私自身も舞台に出演する機会を得たり、
今まで以上に多くの舞台を観劇するようになった。
そんな中、夢に対する新たな思いが生まれ、私を大きく突き動かしたのは、ある舞台との出会いだった。

二か月程前に観劇した「イシノマキにいた時間」は震災後の石巻を舞台にしたものだった。この舞台を通して、
こんなにも被災地のことを考え、舞台の上から伝えようとしてくれている人たちがいるということを
初めて実感できた気がした。感動のあまり、私は涙が止まらなかったことを今でも覚えている。

この時から、私は震災当時のことを頻繁に考えるようになった。
忘れもしない、2011年3月11日。家族や友人と連絡が取れたことへの安心。
中学校の卒業式や高校の合格発表が先送りになったことへの不安。
明り一つない街の夜空に浮かび上がる満天の星への感動。
震災後、程なくして祖父と後輩が亡くなったことへの絶望。
今まで当たり前だったことが、何一つ当たり前ではなくなったこと。
このことを経験したのは紛れもなく私であり、私が感じた気持ちを他の誰かに伝えることができるのは
私だけだと気づかされた。

震災から2年が経ち、外から見える復興は大変ゆっくりではあるものの、確実に進んでいる。
しかし、外からでは決して見えない人の心の復興は全くと言って良い程進んでいない。
そのような現状を常に感じ、あの日の舞台で自分の涙を、そして前の席に座っていた石巻の人達の涙を見て、
人の気持ちに寄り添えるような役者になりたいという思いが生まれたのだ。
幼い頃から見続けていた、役者になれるという夢。
その思いが強くなった今、絶対に諦めるわけにはいかない。


常盤木学園高等学校 3年 曽根 奈宇美さんの作文

2011年、3月11日。その日は中学校の卒業式の前日でした。現実とは思えないテレビの映像。
ただただ、驚くばかりでした。
幸い、私の家は大きな被害もなく、家族も無事でした。私に何か出来ることはないか。何かお手伝いはできないか。
真っ先に頭に浮んだのは、避難所にいる人々や子供達のことでした。
私は小学校1年生からミュージカル劇団に入っています。
子供達の遊び相手や絵本の読み聞かせならできる。

地震の一週間後、家にある絵本や紙芝居をかき集め、すぐに沿岸部の避難所などを回りました。
津波に奪われた町を見つめながら、あらゆることを考えました。一番不安だったのは、子供達との接し方です。
恐怖感のある中で、初対面の私にどう心を開いてくれるだろうか。
答えも見つからぬまま避難所へ着き、不安を抱きながら子供達の元へと行きました。
すると子供達は、会ってすぐに「遊ぼう」と誘ってくれたのです。
私の不安は吹き飛び、久しぶりの遊びに夢中になる子供達の相手をしました。
一見楽しそうに遊んでいる子供達ですが、くっついて離れようとしない姿を見て、
不安や恐怖から逃れようと必死になっているようにも見えました。

私の小さい頃からの夢は、舞台女優になることです。
舞台で演じることで、喜びや悲しみを伝えていきたい。私は子供達と触れ合う中で、
そんな想いが強くなっていきました。震災で心の傷を負った人々は沢山いると思います。
表現を通して、生きる力や支えになりたい。明日から頑張ろう。まだまだ踏ん張れる。
そんな風に誰かのために力にな りたい。そして笑顔になってもらいたい。
避難所で私に見せてくれた子供達の笑顔は、私のパワーの源になっています。
だから、私は舞台女優という夢を叶えるために、前に突き進んでいきたいです。



聖和学園高等学校 3年 平山 璃奈さんの作文

声優という仕事を知った小学生の時から今までずっと声優になりたいと思っていました。
しかし、その夢も何度か諦めかけた事がありました。
震災の時、津波は私の家の数軒分隣まで来ました。家の中には入れず、数日間はずっと車の中の生活でした。
電気は勿論、ガスも止まり、ガソリンも残りわずかでコンビニもスーパーも営業していなかったので、
満足に食事をとることが出来ませんでした。
その上、父の会社は半壊し、母も足の靱帯を損傷してしまい、仕事が出来なくなってしまった為、
声優になりたいとは言える状況ではありませんでした。

その後、電気が復旧し久しぶりにアニメを観た時の感動は今でもよく覚えています。
やっぱり私は声優になりたいと改めて感じました。が、実際には上手くはいかず、金銭面等の事や声優の仕事の厳しさに
声優として生きていく事の大変さと被災地という不利な環境の為、両親からは反対されてしまいました。
父や母の思いもよく分かります。
それでも声優という夢を諦めきれませんでした。自分の進路に不安を抱いているそんな時、
私は白石みのるさんのお話に強く心を打たれました。「やらないで後悔するよりやって後悔しろ。」
この言葉は『涼宮ハルヒの憂鬱』の中に登場する言葉です。みのるさん自身も引用したと仰っていました。
その言葉は私の不安を取り払ってくれました。

声優とは人々に夢や希望を届ける仕事だと思います。現に私は沢山の希望を貰いました。
私の目指している声優は多くの人々を笑顔にする事が出来るような声優です。
震災後も声優さん達はアニメを通して私達に夢や希望、そして何よりも私に笑顔と忘れかけていた
声優という夢に対する情熱も思い出させてくれました。自分の信じた道を進んで行き、
今度は私が震災で傷ついた人々や世の中の人達に笑顔と幸せを届けていきたいです。

石巻高等学校 2年 新田 周子さんの作文

「女川町生涯教育センター」。私の大切な場所です。
東日本大震災で津波の被害を受けたその場所には、今は何もありません。
私は、小学校1年生の時から9年間、町内の小中学生有志が参加できるミュージカル
「東北電力クリスマスドリーム」に参加しました。
毎年11月~12月、プロの講師に歌やダンス、演技を学び12月半ばに町民の皆様に発表するというものです。
参加8年目まで、その練習場所且つ公演場所が「生涯教育センター」でした。
人前で表現することの楽しさを知った、大好きな場所でした。
津波で建物の中は流されてしまいましたが、外は無事だったので、取り壊しが決まったと聞いた時は
胸がえぐられるような気持になりました。

毎日、中学校に通うバスから取り壊されていく様子を見 て現実を悟るのには、随分時間がかかりました。
だからこそ、震災後から場所を変えての公演が行われる事が決まり、練習で仲間に会えた日、
飛び上がるほど嬉しかったです。
「クリスマスドリーム」は私のホームでした。それゆえに、女優や歌手になることは、 私の小さいころからの夢でした。
テレビや舞台、映画などを通じて私たちにパワーを与えるその存在に、とても憧れをもっていました。
しかし大きくなるにつれ、親に「現実を見ろ」と叱られいつの間にか教師や編集者などのいわゆる「安定した」職業を
口にするようになっていきました。

高校に入り、授業などで進路について考える時間が増え、自分の将来と真剣に向き合わなければならなくなった時、
私は考えました。
「私の本当にやりたいことは何だろう?」出てきた答えは、やはり「表現」でした。
舞台女優として、大勢の人の前で表現がしたい。パワーを届けたい。そう強く思い、ある 日私は親を説得しました。
結果的に親が応援体制になってくれたおかげで、
今回の貴重なチャンスに巡りあうことができ本当に嬉しく思っています。